高知県香北町にある
アンパンマンミュージアム
どうして森が舞台のお話が多いのですか。
何でそうなっちゃうかっていうと、僕は5歳まで東京に住んでいたのですね。東京といっても滝野川区といって昔はたいへん田舎だったのです。
 だいたい本籍地も高知県の香北町というところで、草深くてちょっと入ると秘境になっちゃうんですよね。原生林がずっとあって。20分くらいで秘境に入りますよ。(笑)

 秘境に入るってのはたいへんなことだと思いますが、香北町だとすぐ行けちゃうんです。ほとんど、人の手が入っていない原生林。そんな中で育ったので普通の人の家とかが舞台のお話は不得手なんですね。

 森や木や、川や海、そういうものばっかりを僕は描いているのですが、やはり描きやすいのです。自然が舞台というのが作りやすいし、好きなんですね。
 それに家が舞台のお話だと、年月が経つと家が古くなっちゃうんですよ。家庭の生活は絶えず変化していきますから。でも森は変化しませんよね。

 山の形など壊してしまえば変わりますが、自然の概略は変わらないでしょう。僕の故郷の山だって子供の時と同じ形をしてます。富士山の形だって変わらないでしょ。ちっとも変化しないんですよ。古くならない。
 だから森の中のお話で描いていけば、あと100年経って見ても同じなんです。それで僕は自然環境を舞台にしたお話にしているのですね。
アンパンマンショップ
お話を通して子供たちに伝えたいことはありますか。
子供たちは教育されるということが嫌いなんですね。だから教育的なお話は何も入れないで、自然の中でやってます。

 僕のお話をご覧になると分かると思いますが、どんなに暴れて汚れたり、壊れたりしても、必ず最後のシーンに“復元する部分”を入れてあるんです。最後は必ずきれいになります。

 例えば、戦闘シーンがある漫画だと森や街の中で戦ったらメチャクチャに壊れますよね。でも、それを元通りにするというお話が入っていないんです。
 それを壊した人が超能力とかあったら復元する力もあるはずでしょう。だとしたら、むしろ復元する方にそういう力を注ぐべきじゃないですか。
 だから僕の場合だと、怪獣と戦うというのは、しかたなしに戦うのであって、周囲もなるべく壊さないようにして戦って、壊れた場合は直す。

 あと、怪獣と戦って勝った。正義は守られた。でもそうじゃないと思うんです。
 怪獣側から見たら倒した方が悪いじゃない。例えば今アフガンで戦っていますが、両方とも主義、主張があるでしょう。
 しかしですね、例えば片方が相手を全滅させたら、きっと自分も滅びるでしょう。戦いもバランスよくやっていかなければいけないと思うのです。

 けれど教育をしようとか、学校で倫理をおしえなくちゃいけない、っていうのは何かを押し付けているんですよね。
 そうじゃなくて、自然に学んでいく。やっていること自体が面白い。それでいいと思うのです。
 “面白い”ということをおしえる。詩を書くことはこんなに面白いんだ、語学だとこれが話せるようになればいろんな人と話せるようになるんだ、とかそっちを興味の中心にしないと。どこが間違っているかとか、過去分詞がどうとかめんどくさいことを言う必要はないんじゃないかな。

 だから漫画も、作者の考えは入れるけど、これで教育しようとか大それたことを思ってはいけないのです。
ドキンちゃんバニーガールの絵の前で
バランスについてもう少し詳しくおしえてください。
スポーツだと分かりやすいのですが、敵、味方があって戦いが終わっても相手は死にませんよね。それでまた戦う訳です。「こうなんだ、ああなんだ」って主義、主張をぶつけ合うことでひとつのエネルギーが生まれるのです。
 アンパンマンも戦ってバイキンマンをやっつけます。でも、次の回になるとバイキンマンは平気な顔してまた出てくるんです。この中に活力があるんです。だから相手が死んでしまったらダメなんです。

 僕はあらゆる意味でバランスが取れていればいいと思うのです。体だって健康であれば、その人の中でバランスが取れいるようにね。腸の中にも細菌がたくさんいて、良い菌や悪い菌があるわけです。でも、そのバランスが取れているから健康なんで、悪玉菌を全部やっければ死んじゃうんですよ。
 だから両方必要なんです。世界もそう。そうでないとファシズムのような、病んだ一方的な世界になってしまう。
 
 アパンマンもニャンダーかめんもそういう主義で描いているのですね。ニャンダーかめんの最後は、ネズミとネコの戦争が始まるのです。でも敵のネズミもニャンダーかめんは助けちゃうのですね。「助けてー!」って言われると。(笑)
 だから今までのヒーローとずいぶん違うのですね。

  また、アンパンマンミュージアムを作る際にも木を切らなければいけませんでしたが、その一方で切った分を植えました。
 そういうバランスというか“共存する”ということが大切なのでしょうね。
最後に、アクセスされている皆さんにメッセージをお願いします。
今は“夢”がないのですね。そこそこ暮らせて、自由に生きていければいい。それじゃあ、困ったものです。(笑)
 もうちょっと、壮大な夢を持たないと。好きなことをやる、ということをね。

 例えば『昆虫記』を書いたファーブルは学校の先生だったのですが虫ばっかり観察していたので、協会から怒られて左遷されちゃったんですね。でも田舎でたくさんの昆虫が観れるから本人は大喜び。(笑)そして昆虫記を書いたのです。
 そして昆虫記が彼の代表作になり、たいへんな学者になるのですが、そうなろうと思って書いたのでなく、単純に虫が好きだったからそうなっちゃったんですね。だから、虫が好きだったことが彼を助けることになった訳です。
 
 また、知人に郵便配達の人がいて、山奥で配達しているのですが、山頂に一軒家があるから登りは自転車を担いでね・・・。 僕は何てたいへんな仕事だろうと思ったけど、本人はとっても幸せなんですね。山が大好きだし、郵便を届ければ一軒家の方がとても喜んでくれるし、それなのにお給料ももらえる。だから本局に行って事務をして、って言われたらすぐ辞めちゃうって。(笑)
 こんな風に、好きなことが本人にピッタリはまると、人間は幸せになれるんです。

 それは誰でも同じことなんです。好きなことをやっていると本人を助けてくれるんですよね。楽しくなっちゃう。
 また、最近はそれが分からないという人も多いのですが、好きなものがないとういのはおかしなことなんです。

 これだけ世の中には何でもたくさんあるから、さがしていれば子供の時には見つからなくても、いつか見つかります。年を取ってからでもいいんです。
 好きなことをやればいいと思いますよ。
「呼んでくれれば、どこでもコンサートに行くよ」と楽しそうにお話してくださった、やなせさん。いつかどこかの街で出会えたら、その温かいお人柄にふれることができるでしょう。本当にお忙しい中、たいへんありがとうございました。
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