子供たちと自然感察
最近のご活動をお聞かせいただけますか?
僕の仕事は主に6本柱で、講演、執筆、写真、観察指導、テレビ・ラジオ番組の出演・監修、エコロジーツアーの企画やガイド、講師の派遣などがあります。その中で最近割合が高くなっているのが「小・中学校へ行って授業をする」ということ。
 来年からそういう授業がもっと増えますし、僕がやってきたことがそのまま授業として取り上げられています。また、その仲立ちをする学校の先生への講習も多くなっていますね。

 もう全国的に始まっているのですが、都会だけでなく地方の学校へも行きますよ。だからといってどこも生活様式はほとんど差がないから、意外と自然に親しむ機会がないんですよ。
 全国を回っていると、やはり文化というものが画一化しているんだなあ、と感じますね。
 だから毎日歩いている通学路で「あれがあるよ」とかおしえてあげると「エ〜ッ!」てビックリするんです。僕みたいに年に1回しか来ないような人間の方が見つけちゃう(笑)。

 また、最近パプアニューギニアの政府観光局や航空会社など、国とガッチリ組んで自然の紹介をしています。もう1回行ってきたのですが魅力タップリで本当に「地球最後の楽園」ですよね。僕は様々な国に行ってきましたが、ここはすべて自然で未知の世界のカタマリみたいなんです。「オーッ!」とか「ワーッ!」とかばっかり出ちゃう(笑)。すごくエキサイティングな国ですよ。
大人への指導
野草で作った食事
どうしてプロ・ナチュラリストになられたのですか。
僕は東京都江戸川区生まれで、河川敷や田んぼがあるところで育ったんです。泥んこになってザリガニを取ったり、バッタを追い掛けたりして。それが原体験なんです。
 でも、中学、高校、大学くらいの時は隠していたんですね。その頃は「動物が好き」とか「昆虫観察してる」なんて言うと「オタク」とか「暗い」って言われちゃって。自分も女の子にもてたいし(笑)、みんなの仲間はずれになりたくなかったんですね。

 例えば、人でも大好きだったけどしばらく会わないとちょっと気持ちが冷めるじゃないですか。それと同じように、あんなに大好きだったのに自然に対して見なくても感じなくても平気になっちゃったんですよ。
 だから高校、大学の頃がブランクで、いわゆる“隠れナチュラリスト”になってました。

 でも大人になった時マウンテンバイクを買って「よしっ!子供の頃に遊んだ土手へ行こう」って思ったら、みんなグランドになっていて走れない。「こっちはどうだろう」って行くとマンションが建っていて、「こっちはどうだろう」って行くと駐車場になっていて。
 その時にサーッと血の気が引いて「自分の原体験」と「自分の遊び場を返せー!」という気持ちがムクムク湧いてきたんです。
 だからこの仕事をしようとしたきっかけは、地球の温暖化への問題意識みたいな立派なことじゃないんですね。

 話がそれますが、僕は物理的な遺産だけでなく心の中にも遺産があると思うんです。例えば、ある人が海で泳いで人間形成ができて、家族や友だちの楽しい想い出がそこにある。ところがその海が埋め立てられてしまうと、その人の心の遺産はなくなってしまいます。
 だから、心の遺産を勝手に壊してはいけないと思うんです。

 それは、日本人の休暇の少なさとか今までの経済活動とかにも起因すると思いまが、原っぱを原っぱとして、水たまりを水たまりとして残しておけない気質がありますよね。
 原っぱならテーマパークに、水たまりならマリーナをつくろうとする。そういう“そのままの状態を楽しめない”という時間と空間が感性として足りないのでは、と思います。

  でもそれはつい最近100年、200年のことで、昔は人間に力がなかったからかもしれないけど、何もない原っぱで月を見て、浜で泳いで楽しかったはずなんです。というか楽しいんです。
 だけど、そういうことをする感性がなくなったんでしょうね。でもそれは消えてしまったのではなく錆び付いていて、機会さえあれば戻ると思います。必ず、鮭みたいに帰ってくる感性だと思うのですが、帰ってきた時に川…つまり自然がなくなっているようではダメなんですね。目を向けた時に無いようではもう遅いんです。

  僕は心の遺産がなくなっちゃったから、今までは捕まえたり、買ったりで満足していたものが、今度は「守りたい、伝えたいに」なりました。「ここでぜったい歯止めをかけないといけない」って。
 それでプロになったんです。でも大学の専攻は英語だったし、将来は教員や外資系へと就職を考えていたから、まるっきり180度転換しちゃいました(笑)。
自然観察指導をしていて最近特に印象に残ったことは?
まずね、子供が何でもお金に換算する。今は昆虫とか売ってるじゃないですか。だから森に行くと、昔は僕のところに昆虫を持ってきて「この虫なんていうの?」って聞いてきたのですが、今は「これ、いくら?」って来る子が多いですよ。特にクワガタやカブトムシは「コッチとコッチどっちが高い?」とか、冗談抜きですごく多い。

 ただ、彼らが悪いというよりも風潮になっちゃってる。だから捕まえるってことが昔は「カッコイイ」とか「飼ってみたい」だったのが今は価値を最初から知っていて「あ、これは売っているものだ」で捕まえたり「これは安いから、いらない」って言うんです。非常にビックリしていますね。

 それに関して言えば、昆虫を手に入れるのは楽しいですが、もっと楽しいのは“そこまでのプロセス”なんですね。前の晩からミツをつくって、森に行って、朝ワクワクしながら見に行くとかね。そこまででひとつ楽しみがあって、さらに捕まえて楽しみがある。
 例えば、デパートで昆虫を買うとしたらプロセスは“電車に乗って行く”ということぐらいですからね。“探しに行く醍醐味”を知らないのはとってもかわいそうです。
 むしろお金を出して買わなきゃいけないのはプロセスの方じゃないですか。それが分かれば、自分でも捕まえられるのですから。

 ただ、恐ろしいのはそういうテーマパークができるんじゃないかって。プロセスから入れるね。
 今は昆虫をばらまいたり、拾ったり、せいぜいそれくらいだけど、前の晩からパックで泊まって、ミツをつくる指導から始まってね。
 本当に自然にいるものを採りに行くのはいいんだけど、在庫がなくなれば補給して、それが終わったら全部お金にしてね…僕、そういうのぜったいできると思うんですよ。せめてそうなってほしくないですね。

 あと不景気のせいかもしれないけど、大人が他の楽しみから自然の楽しみに入ってきてます。ゴルフに行ったりするより自然観察の方がお金はかからないし。
 やっぱり子供の頃に回帰してきてるというか自分が子供だった頃の生き物たちに出会いたくなっているようです。特に昭和30年代から上の人たちはノスタルジーも含めて自然に帰りつつありますね。自分から求めて入ってくる。それはさっきお話した原体験からかもしれないですけど。
パプアニューギニアにて
では自然の中で体験したことで最近特に印象に残っていることは?
毎日、ワーッ!ワーッ!って思ってる(笑)。う〜ん。でも、パプアニューギニアに行った時、ナイトハイクをしたのですが僕を含めた日本人がいかに“闇というものに慣れていないか”って感じました。
 日本は特にそうだけど、どこに行っても街灯や自動販売機があって漆黒の闇ってなかなかないでしょ。
 人間は本来そういう中に住んでいたのに、いきなり放り出されると僕なんか自分で得意だと思っていたのだけど、やっぱりビクビクしたり、動きが鈍くなったり、慎重になったり、ちょっとしたことに驚いたりとかね。

 パプアのジャングルは漆黒の闇だけど、現地の人たちは懐中電灯をつけなくてもスタスタ歩いていくんですよ。僕たちは懐中電灯やヘッドライト付けても転んだりとかね。
 彼らがその土地を知り尽くしているということもありますが、やはり“よく見えている”。色んなもの見つけるのも懐中電灯で見ている僕らより早いんです。だから、パプアで闇に対する現代人の衰え、それにショックを受けましたね。暗闇というものがこんなに身近なものじゃないんだって。すごいショックだった。

 暗闇という自然を子供たちに体験させたいですね。「日本の闇」ってマップをつくりたいぐらい(笑)。本当の闇を感じられる場所。誰か提案してくれないかな(笑)。

 闇とか夕焼けとか、朝靄とかね。それが普通に感じられることも大切ですよね。
 だから新潟県も自然をアピールしていく時に「三川村の暗闇」とか「福島潟の朝靄」って打ち出し方もおもしろいかもしれませんよ。
 
 そこまで絞り込んで見に行くのはいいエコロジーツアーになるかもしれないし、それを壊しちゃったらお客さんも来なくなるから「朝靄を見るためにビルを建てない」とかね。案内は現地の方にお願いすれば地元にも還元できるし、さらに自然保護になりますから。
 だから自然も「サンマだったらどこどこ」と同じで、「朝靄だったら新潟」って(笑)。そんな百景があるといいですね
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