最近お仕事でブラジルとキューバへ行かれたそうですね。
ええ、海外旅行ものの撮影で。ブラジルは2回目、キューバは初めてだったのですが、暑い国だから体力がいりますね。
 でも、見るもの何でも新鮮で興奮しちゃって。日本に帰って来てもう何日も経つのに夜眠れないの。ちょっとハイになっているみたいね(笑)。興奮が収まらないんです。あまりにも鮮烈な旅でしたから。

 キューバは社会主義国で今は物資も乏しいけれど、若者たちの目が輝いているの。建国の気運に燃えているというか。そういう若々しさに刺激されましたね。
 それに、街中に音楽があふれているから体は疲れていても陽気でリズミカルになってしまうのね。みんなどこでも歌って、踊っているし。しかもボインボインでしょ。胸といい、お尻といい、お腹といい、実にみごと!(笑)

 ブラジルでは大自然に圧倒されて、ただ呆然と立ち尽くしてしまいましたね。あの雄大さには言葉もありません。
 また、アマゾン川にポロロッカを見に行ったのですが、途中アマゾン川に浮かんで、船で一泊したのです。深い森の中、月がとってもきれいでね。鳥も寝床に帰って。暗くて、静かで。

 そうしたら、何だかこの数十年間で初めてセンチになったのね。涙は出ないけどとても切ない感じ。こんな大自然の中でも人間はコツコツと精一杯生きているのね。一番切ないところを浮き彫りにされたような。

 無防備、無抵抗、がんばらない。そして理屈抜きに優しい気持ちになれたの。どうしてそんな気持ちになったか説明しがたいのだけれど(笑)。 でも優しくなれるって、いいことね。
上2枚とも白上山地で工藤光治氏と
日本の世界遺産も1年かけて取材されたそうですが。
はい。屋久島と白神山地には比較的長く滞在できましたね。

 屋久杉は台風の被害で大きな木も引き裂かれて倒れているんです。すごいのよ、荒れている所は。まるで戦場のようで。
 でも巨木が倒れた後には、お陽様が当たって、また新しい木が生えてくるのね。巨木が朽ち果てて土に帰っていく。それが老仙人のように思えて、とても神々しかった!

 「なるようになるんだ命は。倒れて死んでいくことも、自然なんだな」って、「なるほど!」と思いましたよ(笑)。

 白神はちょうど山菜のシーズンでした。それでワラビの芽が5つくらい出ていて「あら、美味しそう。食べごろね」って採ろうとしたら案内の工藤さんが「ふたつだけしかダメですよ」って。あとの3つは残して自然を守るのね。ハッとしました。

 アマゾンでも傷に効く薬木があって、木の皮を剥いで薬にするんでけど、削ったあとには泥を塗っておくのね。外気に触れないように木の方のけがも治そうとするの。
 こんな風にして人間は自然の恩恵を受けるけど、ちゃんと自然が全部、元の姿に帰るようにしておくの。そうやって、ずっと森を守ってきたのね。
常田富士男氏と『まんが日本昔ばなし』
録音スタジオにて
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撮影/落合高仁氏
「まんが日本昔ばなし」のナレーターをされていた頃のお話や、物語を通して感じた自然へのイメージをお聞かせください。
私は今では演劇という仕事を選び、都会に住んでいますけど、小学校3年生で終戦を迎えて、疎開先の田舎で物のない生活も経験しています。

 その頃は運動靴が一足しかなくて、雨が降るともったいなくて、裸足で学校に行きました。
 でも、まったく悲愴感がないの。

 逆に、おもしろいのよ。ツルツルすべって!(笑)。道を真直ぐいけばいいのに、わざわざ近くの土手を登って、またそこをすべり下りて学校へ行ったり。
 土手を上手にすべることがとても自慢だった。また食料もないから顔に土を付けてドロンコになって野菜を植えたりね。

 そんな経験があるから「自然となじみになって元気になっちゃう」。だから昔ばなしでは、雨垂れがポトッて落ちた時の楽しさやそよ風が吹いた時の快さ、というような自然がくれる感覚を大切にしながら声の出演をしましたね。

 自然に触れた経験が後々どういう喜びに変わって、どんな栄養になっていくかは人それぞれ違うと思いますが、確かに素晴らしいものとして残りますよね。

 『昔ばなし』を通して感じたことは、自然というものは実に残酷。恐くて、大きくて、太刀打ちできないもの。運命的にどうすることもできないもの。そして、やはり人間が寄り添っていくものだと思います。
 その中でコツコツと、欲張らずに暮らしていくしかないのでしょうね。そういうことを教えられた番組でしたね。 

 だから、私は「地球にやさしく」という言葉がピンッとこないの。だって人間がやさしくできる訳ないのよ。
私たちも自然の一部だし。それに森や木は、私たちの先輩ですもの。
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